感性の問題ではない!高橋優の歌詞とパニック障害療養中の岩橋玄樹
※この記事の文字量は15分相当です。
この日記で初めてキンプリに関連する批判的意見を書くことについて
これまで、このブログでは「世間の意見が大きく二分されている」という事例に触れることが、よくありました。
- 永瀬廉は、スマートなのか? 不憫なのか?
- 匂わせは、悪か? 個性か?
- 青木アナは、ジャーナリスト失格か? ファンへの使命感を持っているだけか?
- 一部ジャニーズファンと一部男性との意見の衝突は、どちらが正しいのか?
- 古株ファンの新規ファンへの批判的感情は、正しいのか? 間違いなのか?
これらの際、「どちらかの意見に大きく振れる」ことは、なかったかと思います。
意図的にそうしていた訳ではありませんが、多くの物事は、安易に是非が決まるものではないのだと思います。
しかし、今回のそれは、はっきりと断言する必要があるかと思い、この日記を書きました。
King&Princeの新曲『君を待ってる』の歌詞は、適切なのか?
「キンプリの曲、キンプリが実際に歌う曲を、否定されたくない。」というファンの気持ちは、分かっているつもりです。
私も、待ち望まれた新しいシングル曲の発表発売に、水を差すようなことは、正直に心苦しいです。
この日記の筆者である私を責めるファン(作詞者の高橋優のファンを含めて)がいても、それは理解できます。
イヤな思いをするファンの方には、どうかお許しいただきたいです。
それでも、私が提示したいのは、
「『君を待ってる』の歌詞は、とんでもなく不適切である」
ということです。
なお、この日記は、過去最長の文章量となってしまっています。
私の筆不足もあり、読んでいて疲れるとは思いますが、この日記に関しては特に最後まで読んでいただけると嬉しいです。
曲への感想は人それぞれが基本。しかし…
例外はありますが、基本的には、ジャニーズアイドルの曲は、アイドル自身が曲を作っている訳ではなく、事務所が用意したものとなっています。
曲単体を芸術品として考えた場合は、曲を作る上で、作者も、創作の感性も、作品への思いも、曲ごとにバラバラとなります。
自ら曲を作っている歌手を筆頭に、作者がある程度固定されている曲らの歌手と比べて、ジャニーズの場合は、曲を聴く人の、曲ごとの、好き、嫌い、どの程度好き、どの程度嫌いなど、「曲への感想印象がバラつきやすい」という特徴があります。
以前の日記『キンプリGlass Flower「現実」と「ウソ」と「ウソと知っている現実」』では、King&Princeの『Glass Flower』の曲の歌詞がいいと、感想を書きました。
妻にたくさんキンプリの曲を聞かされている私としても、良い印象を持っている曲は少なくありませんが、好きでも嫌いでもない曲もあります。
(ちなみに、たまたまかもしれませんが、デビュー前の曲を含め、これまで聞いたキンプリの曲で、嫌いなものはありません。)
各曲での良し悪しのバラつきに関しては、私の個人的な感性感覚によるものなので、当然、他の人の違う意見もあるものですし、嫌いな曲があっても、「感性の違い」ということで、それ以上のものではないと思っています。
新曲『君を待ってる』の作詞の担当が、高橋優であることに関しても、
もともと私は芸術家として高橋優に良い印象は持ってはいませんでしたが、
「残念だけれど、仕方がないか」くらいにしか、思っていませんでした。
感性の問題では済まされない『君を待ってる』の作詞
通常であれば、話はそこで終わりますし、そもそもブログでこの話題を取り上げることもしませんが、
問題なのは、この曲の発表発売のタイミングです。
岩橋玄樹がパニック障害の治療で休養してから初めてのタイミング、岩橋玄樹の復帰(復帰の延期ともなりましたが)のタイミングでの、新曲となる曲の歌詞としては、明らかに不適切です。
この『君を待ってる』の作詞担当の高橋優が、このタイミングでの岩橋玄樹の状況を、本当にまったく知らなかったのなら、高橋優に関して、私から言うことはありませんが、高橋優がこのことを知らなかったとは思えません。
また、ジャニーズ事務所も、当然、このタイミングでの新曲の発表に、岩橋玄樹の休養について意識しないはずがありませんし、高橋優に対しても、ある程度の状況とテーマの説明、指示があったものと思われます。
結果としての新曲のタイトルが『君を待ってる』ということであれば、ファンでなくても、岩橋玄樹の休養を知っている人であれば、「この新曲は岩橋玄樹に向けてのものである」と思ったり、連想したりするのは当たり前です。
高橋優や、作詞を監督する立場であるジャニーズ事務所が、「この新曲は岩橋玄樹を意識してのものではない」、「そんなつもりではない」とするのは、あり得ないでしょう。
もし、「世間がそんな風に解釈するとは予想できなかった」との公言となれば、「予想すべき人間が、これ以上ないぐらいに非常に簡単な予想もできなかった」と、自らの愚かさを公言しているのと同じです。
しかし、高橋優が、この『君を待ってる』を、岩橋玄樹に向けての曲、もしくは岩橋玄樹を意識しての曲ということで作詞したのであれば、あまりにも、無知で、無配慮で、不躾で、稚拙な歌詞と、言わざるを得ません。
- 複数人で遊んでいる子供に対し、一人でいる子供を、「ひとりぼっち」と表現する必要があるのか?
- 当人にとっての「世界を変えよう」とするためにすることが、なぜ「人と人の間にある」「壁」を壊すことなのか?
- 「10年後の君はなんて言う?」とか「いつの日かじゃないよ 今ここからさ」とか「さあ踏み出せ」とか、なぜ、そんなに急がせ、焦らせるのか?
上記の鍵括弧は、2019年3月5日現在までに公開されている範囲のKing&Princeの新曲『君を待ってる』の歌詞の抜粋です。
たとえ作詞者の想像力がどれだけ乏しかったとしても、この歌詞が、「岩橋玄樹に向けてのもの、もしくは岩橋玄樹を意識してのもの」ということなら、
岩橋玄樹は、人とのコミュニケーションに問題を抱えている惨めで不幸な人で、
その原因を作っているのは岩橋玄樹本人で、
焦らず休むというのは間違いで、
岩橋玄樹は今すぐ行動しろ。
ということになるでしょう。
当然、岩橋玄樹本人はそんな解釈を口にしづらいでしょうが、少なくとも、岩橋玄樹本人は、この歌詞に、そういう印象を受けると思います。
今後、キンプリの持ち歌として、この歌詞を、岩橋玄樹の目の前で他のキンプリメンバーが歌ったり、岩橋玄樹当人が歌ったり、これが大勢の人前で何回も行われることを、製作者と責任者はどのように捉えていたのか、私にはまったく想像できません。
既に実際に岩橋玄樹当人が、この歌詞を読んで、しかも歌っているという事実にも、心が痛んで仕方ありません。
不適切な歌詞ができた経緯と責任
メンタル的に弱っている人に、どのように接したらよいのか分からない人は、います。
正解を見つけるのは意外と難しいというのは事実だとは思います。
しかし、高橋優が、もし、そういったことが苦手なのであれば、歌詞の影響が大きいこの状況で、なぜ作詞の仕事を断らなかったのか、せめて、なぜ苦手ではない人の意見を聞かなかったのか、疑問です。
少しでも意見を聞いていれば、こんな歌詞にはならなかったはずです。
作詞内容にジャニーズ事務所からの指示が影響している場合はもちろん、作詞内容を監督し、意見できる立場として、この内容で作詞を受領したジャニーズ事務所にも、問題があります。
2019年3月5日現在、この新曲のCDの発売予定までわずかに期間があります。
CDなどのメディア制作、ミュージックビデオ制作、広告活動などで、予算、根回し、連絡、手続きなど、難しい点があるのは分かりますが、
岩橋玄樹の名誉と体調回復のため、今後のキンプリメンバー全体のために、再度、発売の延期をしてでも、作詞の担当を変更するか、担当を変更しないまでも、タイトルと歌詞内容を全面的に変更するかをすることを、切に願っています。
ちなみに、この新曲CDについては、これも既に多くの意見が出ていますが、
岩橋玄樹を入れて一度収録した音源を、なぜわざわざ収録し直すことにしたのか、なぜジャケットをわざわざ変更するのかなど、疑問です。
ただ、これには、恐らく一枚岩ではないジャニーズ事務所内の事情や、岩橋玄樹のご家族の事情が、どこまで絡んでいるのかが分からない以上、誰の意向なのか、誰の責任なのか(岩橋玄樹本人ではありません)は、言及できません。
この判断の経緯も、どこまでまっとうなものであるのかも、分かりません。
芸能人のメンタル不調、治療方法、入院について
なお、岩橋玄樹のパニック障害治療での休養からの復帰の延期のニュースには、複雑な思いを持ったファンも多いかと思います。
妻も、多少ショックを受けている様子でした。
段階的な治療というのは、通常であれば、ある程度、継続的にできると思いますが、治療の対象が芸能人、ましてアイドルの場合は、やりづらい点があります。
ストレスを主な原因とするメンタル系の治療の場合、治療の際は、いかにストレス源と距離を取るか、いかにONではなくOFFにできるかが、重要となります。
サラリーマンで勤め先である会社がストレス源の場合は、会社に行かない、会社と連絡を取らないなどすれば、かなりストレスは軽減されます。
段階的に会社に戻る場合でも、会社と関係のない時間が長ければ、その分ONの時間が短くなり、それが十分かどうかは別にして、その分だけストレスは低減できます。
しかし、芸能人の場合は、そうはなりません。
仕事中でなくても、家の外で人に会えば芸能人として見られ、仕事と関連すると意識するので、ONになります。
家にいたとしても、テレビで自分と関連する放送を目にすればONになり、世間が自分のことで騒いでいると頭によぎればONになり、気になって仕方がなくなってエゴサーチすれば完全にONになります。
アイドルであれば、さらに私生活に触れるような報道やネット記事(このブログも例外ではありませんが)が多くなります。
アイドルを筆頭に芸能人は、とにかくOFFになりづらいのです。
この場合は、強制的にOFFにするために、入院するという選択が出てきます。
逆に言うと、入院といっても、ただ、テレビやネットの情報を断ち切って、食生活と生活リズムを通常にするだけなので、世間一般の人が思うほど、大したことはしていないと思います。
メンタル系の病気の回復は、体調が良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、それでも平均して徐々に良くなっていくものですが、
芸能人、アイドルにおける回復は、入院と退院を繰り返しながらが、第一的な方法なのかと思います。
個人的には、岩橋玄樹は英語に興味があるようなので、ある程度回復したら、海外でしばらく生活するのも、一つの方法ではないかと思っています。
海外にいれば、周囲の人間から芸能人として扱われないですし、日本の芸能ニュースも入ってきづらいですし、芸能人として過ごした日本の生活とは、生活の雰囲気も変わります。
ただ、岩橋玄樹本人は、ファン、キンプリメンバー、ジャニーズ事務所、その他関係者を気にして、「急いで戻らなきゃ」という思いを捨てづらいかもしれないので、この場合は岩橋玄樹にも体調と勇気が必要となります。
また、仮に海外で生活できたとしても、悪質な記者やファン(いないとは思いますが)が、現地に来ないようにする必要も出るでしょう。
いずれにせよ、岩橋玄樹の休養に関しては、私たちファンは、なるべく岩橋玄樹がOFFとなるように、十分な時間を、そっとするのがよいでしょう。
岩橋玄樹の行先は、十分に時間が経てば、岩橋玄樹自身が見つけます。
その際は、「誰に背中を押される訳でもなく、自分でキンプリの中に戻りたいと思うのではないか」と、私は予想しています。
その時間は、岩橋玄樹本人やファンが思っている時間よりも長いものと考えるのが、妥当と思います。
「焦らない」の意味は、そのように捉えるものと、私は思っています。
以前の日記『岩橋玄樹パニック障害で休養「どうしよ!」平野紫耀担の妻でも慌てる』でも書きましたが、誰か死人が出た訳でも、誰かの夢が潰えた訳でもないので、事態はそこまで重く受け止める必要はなく、気長に捉えられればと思っています。
療養者への直接的な接触は慎重に
アイドルには、アイドルを意識したいタイミングと、アイドルを意識したくないタイミングがあるかと思います。
恐らく、休養中の岩橋玄樹にとっても、そうだと思います。
差し当たり、私が気にしているのは、
岩橋玄樹がアイドルを意識したくないタイミングで、強制的にアイドルを意識せざるを得ないような出来事が、不必要に起こってしまうようなことがないようにしてほしいということ、
具体的に言うと、岩橋玄樹本人や、病院、ご家族、友人知人など岩橋玄樹のプライベートな関係者への、ファン、記者などによる接触は、避けてほしいということです。
これは、会う必要のない芸能人や芸能関係者からの接触も、含みます。
休むタイミングで会ったり連絡したりするのは、キンプリメンバーや限られたジャニーズ事務所の担当者など、ごく限られた人間のみとした方がよいかと思います。
「岩橋玄樹のために、何か明確な行動をしなきゃ。」と焦る人もいるかもしれませんし、その気持ち自体は私も理解できますが、そこは一度踏み止まって、冷静になる勇気を、「積極的に接触することだけが誠意ではない」ということを考えられる勇気を、持っていただきたいと思います。
岩橋玄樹に関するキンプリメンバーの対応
またちなみに、キンプリメンバーが「岩橋玄樹の復帰を待っている」と、テレビなどメディアで示すことがありますが、これは岩橋玄樹本人に対してのものというよりかは、ファンに対してのものと思います。
キンプリメンバーであれば、テレビなどメディアを介さなくても、ある程度、岩橋玄樹と直接話すことが可能なので、本当に本人に伝えたい内容は、誤解がないように、直接話すはずです。
キンプリメンバーは、岩橋玄樹へ復帰のプレッシャーを与えることを意図していない、むしろ、なるべくプレッシャーは与えないようにと思っていて、その思いも、メディアに出ない場所で、岩橋玄樹を入れたメンバー内輪で、話し合っているものと思われます。
キンプリメンバーがメディアでファンに示そうとしたのは、
「岩橋玄樹が二度と復帰できないような状況になってしまったのではないかと、ファンを不安にさせるのを避けたい。」、
「岩橋玄樹の休養を悲劇にしたくない。」、
「岩橋玄樹が休養しているからこそ、ファンと前向きな気持ちで、一緒に活動したい。」
という、平野紫耀、永瀬廉、髙橋海人、岸優太、神宮寺勇太の5人の思いでの行動と思います。
キンプリファンも、岩橋玄樹ファンも、とりあえずは、そんな前向きな彼らを応援できたらと、思っています。
追記
後日書いた日記『キンプリメンバーの苦悩と葛藤「君を待ってる」歌詞の傷とパニック障害療養中の岩橋玄樹』では、続きとなる内容を書いています。
さらに1年以上後となりますが、『キンプリ『マホロバ』と『君を待ってる』の歌詞の違い。24時間テレビに使うならどっち?』でも、『君を待ってる』について書いています。
この日記で辟易していなければ、よろしければご覧いただければと思います。
初めまして。キンプリファンの者です。
「君を待ってる」歌詞について、書いていらっしゃるのでコメントをしたくなりました。
私もキンプリは大好きで、キンプリの曲はほぼ皆好きなのですが、「君を待ってる」の歌詞だけは正直にって凄く嫌いです。
曲自体のメロディーやキンプリの歌声は大好きなので残念です。
玄樹君を待ってるよという意味合いがあるのだなと優しく見ようとはしていますが。
ベンチに座っている一人ぼっちの子供と、孤立する者がいるのを十分に知りながら背を向けて声もかけず楽し気に輪を描いている複数者、こういった光景を思い描いてもぞっとしないのは酷い苛めや仲間外れの経験がない人だけでは思います。
人と人の間にある見えない壁を打ち砕くのは、独りぼっちの子供が単独で努力しなければならない、勇気を出して声をかけたら、今までの孤独が嘘のように頭上に晴れが広がる別世界が待ていました、めでたしめでたし。
誰でも彼でも全てがこんな単純にうまく行くのであれば、悩む人も自殺する人もいないはず、差別も何もないはずと、そうは行かなかった実例を思い出して凄く寂しく悲しくなります。
高橋優さんの世界観が非常に安直で薄っぺらく感じます。
歌うキンプリがこの歌詞に違和感を感じていない(多分)のは、彼らは幼少から容姿が優れ頭の回転が速く身体能力に優れ、人に好かれることは多くあっても嫌われることは殆どなかったから、勇気を出して踏み出せば受け入れてもらえる経験を持っているからかと邪推しています。
マホロバの歌詞は凄く好きなのですが。
長々と勝手なことをいいすみません。
主様のブログが好きで時々拝見しています。今後もキンプリについての記事を楽しみにしています。
度々失礼します。マホロバはナオトインティライミさん作詞で、高橋優さんとは
世界観が違うのは当たり前のことですが、「君を待ってる」の独りぼっちの者に頑張れよ的な冷酷さが、「マホロバ」にはないから凄くいいです。単独者におまえが頑張れよと言うだけでなく、皆が心を痛めつつも決して急かすことなく優しくよりそっている、君の場所をちゃんと守ってくよという感じが凄く暖かくて泣けます。それにひきかえ、「君を待ってる」は何て冷たいのだろう、歌っているキンプリは素晴らしいのに歌詞が酷いって聞くたびに思います。他者の孤独を薄々意識しながら背を向けて輪を作って集う人々の無関心冷酷さに、たった一人で勇気を出して踏み出さなければいけない、そしてその先にはハッピーエンドが必ず待ってる、現実がいつもこうだったらいいのにと、いつももやもやします。
ジャニーズも作詞家はいい人を選んでほしいものです。
はじめまして。
コメントをありがとうございます。
キーヤさんのご意見、私も全面的に同感です。
『君を待ってる』は、先日のプレミアムミュージック特別編でも使われていましたね…
現実的には、孤立している側の人間が動くと状況を打破できる場面は少なくはないだろうとは思いますが、
「孤立している側の人間が動くのが常識」とされることにも、
「孤立している側に必要なのは勇気である」とあっさりと言われることにも、
私も強い違和感を持ちます。
ただ、キーヤさんは優しい方だからなのだと思いますが、
私にはどうしても、「手を差し伸べるべき人間が手を差し伸べない」という事実が、
悲しいというよりかは、腹立たしく感じられて仕方がありません。
その他、キーヤさんへの共感の気持ちをあれやこれやと書いているうち、文章が長くなり過ぎましたので、記事として書けるものは、新しい記事として書かせていただくこととしました。
『キンプリ『マホロバ』と『君を待ってる』の歌詞の違い。24時間テレビに使うならどっち?』
というタイトルになります。
妻に「『君を待ってる』と『マホロバ』のどっちが好き?」と聞いてみたりと、
キーヤさんへのご返答とは関係のないものも多く含んでいますが、もしご都合よろしければ、ご覧いただければと思います。
文章も長くなってしまい、また読みづらい文章となってしまっているので、読みづらければ遠慮なく読み飛ばしてください。
また、この新しい記事中は、本来であればそれぞれ内容ごとに書きたい「キーヤさんと同感です」という旨を省いていることを、どうかお許しください。