キンプリGlass Flower「現実」と「ウソ」と「ウソと知っている現実」
※この記事の文字量は4分相当です。
『Glass Flower』による嫌がらせ
休日でも、妻は私よりも早く起きます。
今朝も、まだベッドで横になっている私からは、テレビを見ている妻の後ろ姿が見えます。
「これは、昨日も一昨日も妻が見ていたNHKの番組『ザ少年倶楽部』だな。」
まだ、うつらうつらしている私は、そう思いました。
なかなかベッドから出られない私。ベッドの中で、午前中の時間が随分と過ぎてしまっているのを感じています。
でも、どうにもオカシイ。
先ほど終わったはずのKing&Princeの曲『Glass Flower』が、また流れているような気がする。
しかも、1回とか2回とか、そういうレベルの回数ではない。
これは、夢なのだろうか、それとも現実なのだろうか。
「そろそろ起きなければ」と思いながらも、微睡みの中で現実の世界と夢の世界を行き来していたはずの私の薄弱な意識は、ひたすらリピートされる『Glass Flower』の曲の中で、完全に迷子になっていました。
現実世界から離れているという面では、これは妻も同じだったのかもしれません。
恐ろしい力です。
『Glass Flower』の歌詞。生花とは違うもの
ここまでで誤解がないように敢えて言いますと、『Glass Flower』を悪口に使いたい訳ではありません。
むしろ、いい曲だと思っています。
特に、ジャニーズの曲の中では、歌詞がしっかりしている方だと思います。
歌詞の内容については、いろいろと深読みする解釈もあるようですが、私は素直に、ただ「失恋」をテーマとしているものとして聞きたいです。
「最愛の相手は去った」という覆ることのない現実。
「現実を受け止めるべきだ」ということを知っていながらも、それでも簡単にそれを受け止めることはできない。
「グラスフラワー」というからには、対比しているのは「挿し花」なのでしょう。
挿し花は、1~2週間ぐらいしか日持ちしませんよね。
まだ生き生きとした挿し花を、家に飾って「奇麗だな」とは思いますが、まだ枯れ始めてもいないのに、飾った時点から、「枯れる」ことは意識してしまうものです。
ある意味で、挿し花は、美しさと枯れることを同時に象徴するもので、その分、精巧に美しさだけを再現されたグラスフラワーというものが、いかに不自然で歪なものであるか、もっと言うならば「あってはならないもの」なのかを感じさせます。
歌詞の主人公は、誰よりもそれを自覚しているからこそ、グラスフラワーを手放すことができないことへの「虚しさ」と「焦り」を強く感じていることを、歌詞からは感じさせます。
最近の流行歌にしては、うまく暗喩が用いられていて、短い歌詞の中で世界観を表現できている、いい歌詞だなと思います。
『Glass Flower』の歌い方
個人的には、歌詞中の「Glass Flower」の箇所が、英語の発音っぽくではなく、はっきりとカタカナ読みをしているところが、リアリティと虚しさを強調しているようで、好きです。
あとは、『ザ少年倶楽部』で歌われているとき、岸優太が面白いぐらいコブシを握っているのも好きです。
以前、フジテレビの番組『ホンマでっか!?TV』で、マツコ・デラックスが岸優太に対し「中年演歌歌手」と揶揄しているのを思い出すのは、恐らく私だけではないのだと思います。
岸優太は、いい声で歌っていますが。
以上、曲の感想でした。
なお、岸優太については、私はいろいろ書きたいのですが、長くなるような気もしますので、またの機会にしたいと思います。