悲しみ?憎しみ?関係ない?ジャニー喜多川、死は死

※この記事の文字量は9分相当です。

ジャニー喜多川の死去について思うこと

ジャニー喜多川が亡くなって、3日が過ぎました。

私は、ジャニー喜多川に対し、多少の関心はあったものの、個人的な付き合いはもちろんありませんし、顔も今回の件のニュースで初めて知ったぐらい、特別な思い入れもありません。

ジャニー喜多川の死を知り、私個人が悲しみに心が塞ぐことはありませんが、
「また老人が死んでしまったな」ということと、
「日本の芸能界を中心とした、大きな時代の遷移の象徴的な出来事となりそうだな」ということ、
そして、「近親者として、多くの人が悲しむのだろうな」ということなどは、思っていました。

個人の範囲で行う弔いの方法は人それぞれでよいと思いますし、
そもそも、何の接点もない私などがそれをするのは変な話なのですが、
弔いに近い気持ちを込めて、今回の記事では、少しだけ、ジャニー喜多川の死や、これに関することを、拙い内容ではありますが、書きたいと思います。

読んでいただく方には、不謹慎に映る可能性がありますし、そう受け取ることも、ごもっともと思います。
その際は、申し訳ありませんが、途中でご退場いただけると幸いです。

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ジャニー喜多川の他界

ジャニー喜多川の享年は、87歳となりました。

何を思って亡くなっていったのか、知る術はありませんが、
現代としては、十分な寿命と思いますし、比較的最後まで、現役を続けられたのは、見方によっては、幸運な方なのかもしれません。

とはいえ、ありふれた高齢者の死でも、他の生ける者たちにとっては、はやり死は死。
近親者の悲しみが身近に感じられてしまえるだけ、私個人としても、心を塞ぐことはなくても、まっすぐに何かと向き合いたい気持ちになります。

ジャニー喜多川の死が与える影響

日本の戦後のエンターテインメントを中心として、これほど広く日本人に影響を与えた人は他にいないかもしれません。

エンターテインメントの業界世界も、他の業界世界も、時代も変われば、常に遷移していくものですが、ジャニー喜多川の死は、その前から後への変化が象徴的になるほど、大きなものとなるのが予想されます。

具体的な変化は、これから徐々に見えてくるのだと思いますが、一つの時代の終焉として、まだ若輩な私でも、そこはかとない寂しい気持ちを感じています。

ジャニーズアイドルにとっての悲しみ

遺族という訳ではありませんが、ジャニー喜多川にとっての近親者は、多くのジャニーズアイドルたちと言えるのだと思います。

ジャニー喜多川本人や、ジャニー喜多川を本当に慕ってきたジャニーズアイドルが、これまで「家族」という言葉を意識してきたかは分かりませんが、
恐らく、今回の出来事で、彼らが「家族」という言葉を意識することは多かったのではないかと思います。

これも私の勝手な予想なのですが、ジャニーズに入る若者たちのうち、家庭などに少し訳アリな事情を抱える人が比較的多いのではないかと思っています。
それがエネルギー源になることもあるかと思いますが、そういった彼らにとって、ジャニー喜多川に求める父親像は、少なくなかったのかもしれません。

また、ジャニー喜多川については、一時期、週刊誌や暴露本、裁判での認定などを伴う、黒い噂で有名でしたが、その一部もしくは全部が本当だったとしても、当人らが今昔において感じるものは、単なる「恨み」や「憎しみ」などのような、私たちのような外部の人間が予想するほどシンプルなものではなく、とても複雑なものなのではないかと思います。

ジャニー喜多川も高齢になって以降は、通院入院も少なくなかったとは思いまし、死因となったくも膜下出血で倒れた際も、一時は意識を取り戻してはいますが、ジャニー喜多川の死は、比較的突然なものと思います。
「事前に近親者の死を受け入れるための十分な時間」などないとは思いますが、それでも、ジャニーズアイドルたちにとっては、死を受け入れる準備は、かなり少なかったのではないかと思います。
また、近親者の死を経験したことのない若いアイドルや、ジャニー喜多川を特別慕うジャニーズファンなどにとっては、混乱が多いのではいかとも思います。

悲しむ人を前にして

残念なことに、周囲の人が、悲しむ人にできることは、基本的には何もありません。
できることとしては、彼らに十分に悲しめるだけの時間を与えることと、彼らにとって最も親しい人が、彼らが何かを話したいときに、彼らの話を聞くことぐらいだと思います。

むしろ、体力も気力もなくなっている彼らに、余計なことをさせないことが重要になるかと思いますが、
公私の境目が非常に曖昧な日本の芸能界、特にアイドルにおいては、こんな状況の中でも、世間に向けた活動をしなくてはならないというのが、私個人としては、かわいそうに思います。

ジャニー喜多川の死の受け入れ

仮に、ジャニー喜多川本人は、死を前に、現在と過去を美しいものと感じ、自らの死を受け入れ、前を向いて死んでいったとしても、
悲しみを感じる周囲の人がそれを理解するのは、しばらく後になるのだと思いますし、
近親者は、まずは十分に、悲しい、悔しいなどの自分の思いを、自分自身で汲み取っていってほしいというのが、私個人的な思いでもあります。

死後の世界の有無や、その在り様については分かりませんが、
悲しさ、悔しさ、嬉しさなどを感じるすべての人たちにとって、
その人たちにジャニー喜多川本人もまだ含まれているのなら、ジャニー喜多川を含めたその全員にとって、
死後としてもそうですが、なによりも、その死そのものが、少しでもよりよいものとなってくれることを願っています。

この記事の経緯

私のような立場では、ジャニー喜多川への弔意を示すことも、喪に服することも必要ないと思いますし、
むしろ、そのような礼儀も義務も必要ない立場として、巷に溢れる悲しい記事とは違う、明るい記事として、弔いとはまったく関係のない、ジャニーズやキンプリに関する内容を記載した方がよいのかとも思います。

弔いの内容は、見ようと思えば、テレビでも、ネットでも、たくさん見ることはできますが、溢れるそのような情報からの憂さ晴らしのため、それ以外の内容を見たいと思ったときに、それが見つからないのは、かえってよくないかとも思っています。
過度に不謹慎な内容は、避けるべきとは思いますが。

私が、久々のブログの更新となるこの機会で、このようなジャニー喜多川の死に関する内容を書いた理由について思うと、「単純に私は感化されたのかもしれない」と気付きます。
妻からの影響もあり、ジャニー喜多川の死に対するジャニーズアイドルたちの反応に、少なからず触れることとなりました。
まったくの第三者として、故人の近親者のある程度生々しい反応に、これほど多く触れる機会は、あまりありません。

「このブログに書き記しておきたい」という気持ちをそのままに、記載させていただきました。

奇しくも、生前のときにジャニー喜多川について、初めてたくさん書いた記事『キンプリやSixTonesなどの未来。アイドルの引き抜きへのジャニーズ事務所の危機感は?』が、前回の記事となり、
ジャニー喜多川について多く書いた、たった2つの記事が、生前と死後で、連続で並ぶこととなったのは、皮肉なことです。

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蛇足ですが

ところで、先も記載のとおり、このブログのまともな更新は、かなり久々となります。
数えてみると、前回の記事から3か月以上も経過したことになります。

私としても、「このブログをそろそろ更新したいな」とは思いながらも、時間が取れず、更新できないでいました。

それまでの最後の記事は、ジャニーズJr.のグループSixTonesに関心があるという旨も書いていましたが、
新ブログ『King&Prince平野紫耀が好きな妻の夫はSixTonesオタかな』などのような別のブログを作成したせいで、3か月以上も、こちらのブログを離れた訳ではありません。

なお、最近の妻の状況としては、相変わらずでして、正確には、良いか悪いか言うことができない多少の変化がありながらも、いつもワチャワチャと平野紫耀とキンプリへの活動をしています。
詳細については、今度の機会とさせていただきます。

最後に

……さて、まとまりの薄いこの記事の最後は、自作のポエムで、締めたいと思います。

私としては、今回の出来事で真面目に頭に浮かんだものを書くつもりですが、
読んでいただく方としては、バカな人間のシュールなギャグとして見ていただくのがよいのかと思います。

「さすがに不謹慎である」、「自分の自己顕示欲に醜さを感じる」、「単純に恥ずかしい」など思いから、後で削除する可能性を感じますが、以下に載せさせていただきます。

神様、もしあなたがいるのなら、
私たちに、
悲しみを与え、
悲しみを癒してください。

神様、もしあなたがいるのなら、
私たちに、
悲しみを防ぐ知恵と、
悲しみに立ち向かう勇気を与えてください。

神様、もしあなたがいるのなら、
私たちに、
自分の悲しみを知ることができる力と、
人の悲しみを知ることができる力を与えてください。

神様、もしあなたがいるのなら、
私たちに、
人を愛することを、教えてください。

悲しみ?憎しみ?関係ない?ジャニー喜多川、死は死” に対して2件のコメントがあります。

  1. 39 より:

    やんごとなき事情で更新できないでいるのかと思っていました( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

    1. キンプリファン妻の夫 より:

      しばらく更新できなかったのは、時間によるもので、深い理由は特にないです。

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